最高の教育を受けた人間も、
その後の自己陶冶(とうや)を
缺(か)いては、
立派な人間には成り得ない。
ごく劣悪な教育も、
自己陶冶によっては、
なお改善され得るものである。
いかにも人間は陶冶次第です。
「陶」というのは、
焼物を造る、「冶」というのは、
冶金(やきん)の冶で、
金属を精錬することであります。
土を粘(ね)り、焼いて、陶器を造る。
鉄を鍛えて鉄器を造るようなもので、
人間もやはり、焼きを入れ、
鍛えるということをやらなければ、
ものになりません。
いくつになってもそうであります。